海軍特殊攻撃機(橘花)

潜水艦で独国より運ばれた最高機密の兵器資料であるメッサーシュミットMe262ジェット戦闘機が橘花の原型である。しかし、肝心の設計図面のほとんどは台湾沖バシー海峡で米潜水艦によって撃沈された潜水艦の中だった。

海軍特殊攻撃機(橘花)諸元

海軍特殊攻撃機(橘花)

エンジン軸流式ターボジェット 空技廠ネ20×2(静止推力 475kg)
最大速度677km/h(高度8,000m)
航続距離584~889km
全幅10.0m(折りたたみ時5.26m)
全長9.25m
全高3.05m
主翼面積13.21㎡
自重2,300kg
全備重量3,550kg(正規)4,312kg(過荷)
上昇時間6,000mまで12分06秒
実用上昇限度10,700m
武装30mm機銃×2(機首、戦闘機型のみ)
爆弾250kg×1または500kg×1または800kg×1

海軍特殊攻撃機(橘花) こぼれ話

橘花は潜水艦で日本に持ち帰られたメッサーシュミットMe262ジェット戦闘爆撃機とジェットエンジンBMW003AおよびJumo004Bの簡単な図面と説明書をもとに開発された日本初のジェット機である。機体設計は中島飛行機が担当し、ジェットエンジンは民間会社のものは間に合いそうにないので空技廠が担当するととなった。ジェットエンジンに関してはドイツからの資料が入手できる直前まで開発していたネ12Bがタービン羽根や燃焼室の故障で実験の域を出ていなかった。しかし、持ち帰られた資料のおかげで開発が一気に進み、ネ12より大型のネ20を開発して橘花の搭載エンジンとすることが決まり、昭和20年1月末の出図開始から全ての部品図を含む出図完了が3月1日で、3月26日には火入れ運転を行う順調な進捗を見せ、それまでのジェットエンジン開発のもたつきがウソのようだった。こうした努力の結晶であるネ20も耐久運転では全力5時間半、過回転12,000回転で10分間という短命さであった。この結果の最大原因は、良質の耐熱材料が手に入らなかったことによる。ニッケルやコバルトを主成分とする耐熱鋼はもとよりステンレス鋼でさえニッケルをマンガンに置き換えた代用材を使用しなくてはならない状況だったのでネ20の寿命は約30~40時間、全力耐久15時間程度であったろうと言われている。

機体の設計は順調に進み、原設計のMe262より一回り小さな機体に仕上がった。大量生産が可能なように艤装も簡単なものにし、構造をできるだけ簡素化したため生産工数を約15,000人・時間かかった零戦の約3分の1に減らすことができた。第1号機の試験結果を待たずに増加試作25機を作成することが決まったが、中島の小泉、太田の両製作所が空襲で被害を受けたため、太田周辺の養蚕小屋へ分散疎開して生産を続行し、6月30日(29日の説もある)に試作第1号機が完成した。空襲を避けて夜に木更津まで輸送し、初飛行に向けて懸命の整備が行われ、8月7日の試験飛行にこぎつけた。高度600mで12分間の飛行ではあったが、テストパイロットの高岡少佐の感想は、「案外たち(性)がよい」であった。本格的な試験飛行は8月10日にきまり、離陸補助用のロケットを噴射しての離陸が行われたが、引き起こしのタイミングを逃して離陸に失敗し、滑走路端の溝に前輪をもっていかれ砂地にめりこんで止まった。ほとんど壊れていなかったので徹夜で修復作業を行って再度の試験飛行に向けて走り回ったが8月15日をほどなくむかえることとなる。