陸軍爆撃機(キ74)

遠距離高高度爆撃機として計画されたキ74だったが、高高度を飛行するために欠かせない排気タービン付きエンジン、気密室とも実用の目処が立たなかった。

陸軍爆撃機(キ74)諸元

陸軍爆撃機(キ74)

エンジン空冷18気筒 三菱ハ104ル×2(離昇馬力 1,900HP/2,600r.p.m 公称馬力1,750HP/6,000m)
最大速度570km/h(高度8,500m)
航続距離7,200km+余裕2時間
全幅27.00m
全長17.65m
全高5.10m
主翼面積80.0㎡
自重10,200kg
全備重量19,400kg
上昇時間8,000mまで17分00秒
実用上昇限度12,000m
武装12.7mm旋回機関砲×1
爆弾100kg×9または250kg×4または500kg×1、100kg×4
乗員5名

陸軍爆撃機(キ74) こぼれ話

陸軍は開発当初仮想敵国をソ連としていたため、バイカル湖の西をカバーする行動半径5,000kmを目標とする長距離偵察機キ74の開発を立川飛行機に命じた。立川は昭和15年に朝日新聞社からの依頼で長距離飛行記録機A26を開発しようとしたが開戦のため中断していた。このA26に目を付けた陸軍が試作番号キ77を与えキ74に必要なデータを集めることにした。完成したA26の1機を使って東京~ベルリン間の連絡飛行を計画し、シンガポールで給油のため降り立ち、天候の回復を待って再度ベルリンへ向けてインド洋、中東経由で飛び立ったが途中で消息を絶ってしまった。そこで残った1機で満州国内の3地点を回る周回飛行記録に挑み、16,435kmを飛んで戦争中のため未公認ながら世界記録を達成した。キ77の成功により長距離飛行には高々度飛行が有利と判明し、キ74を高々度高速偵察爆撃機として改めて立川に開発命令を出した。キ74の最初の目的はアメリカ本土爆撃にあったが、具体的な目標としてパナマ運河の破壊が攻撃任務とされた。しかし、第1号機が完成したのが昭和19年3月で、パナマ運河の爆撃どころの戦局ではなかった。試験飛行では排気タービンの不調が続き、ハ211ルからハ104ルに換装した4号機が昭和20年1月に完成した。その後審査は続行されて増加試作機も11機作成され、これらの試作機14機でサイパンのB29基地を爆撃する計画もあったが、終戦により全ては水泡に帰した。

高々度飛行に絶対不可欠なのが、強力な過給器と気密室であるが、キ74はそのどちらも実用化には相当時間が掛かったものと思われる。排気ガスタービンは高温高速に耐えられる金属の開発、タービンの艤装方法がネックで日本の排気ガスタービンは試験段階からは抜け出ていなかった。気密室も窓や出入り口のシーリング、気密室自体の材質などまだまだ手探りの状態であったのが現実である。