陸軍特殊攻撃機(キ115 剣)
終戦の年、昭和20年1月に試作命令が出された機体で、中島飛行機から陸軍に対して提案された単発単座爆撃がキ115「剣」である。陸軍の命令書に記載された特殊攻撃機という名称から、本機は特攻専用機として設計されたと思われているが、それは間違いであると主任設計者の青木氏は自著で反論している。
陸軍特殊攻撃機(キ115 剣)諸元
エンジン | 空冷14気筒 中島ハ115(離昇馬力 1,150HP/2,750r.p.m 公称馬力 1,100HP/2,850m) |
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最大速度 | 550km/h(高度2,800m) |
航続距離 | 1,200km |
全幅 | 8.60m |
全長 | 8.55m |
全高 | 3.30m |
主翼面積 | |
自重 | 1,690kg |
全備重量 | 2,630kg |
上昇時間 | |
実用上昇限度 | |
武装 | |
爆弾 | 500kgまたは800kg×1 |
陸軍特殊攻撃機(キ115 剣) こぼれ話
昭和19年(1944年)の晩秋、中島飛行機三鷹研究所でかねてより製作が進められていた高高度戦闘機キ87の試作機が完成した。しかし、このキ87が実戦配備に就くまでは1年以上の期間が必要で、到底現在の戦闘に間に合うものではないと設計陣は考えていた。その頃、太田製作所の設計陣が解散したという知らせが飛び込んできた。B-29の爆撃が激化する中で、これから新しい機体を設計しても間に合わないという考えから、生産現場の応援という選択をしたためだった。
しかし、三鷹研究所は生産工場を持たないので現場応援というわけにはいかない。自分たちのできることは、やはり飛行機の設計しかないという結論に達し、すぐに戦力化できる機体を設計することになった。爆撃の後には本土上陸が予想されるので、連合軍の上陸艦艇を水際で撃破する爆撃機を設計すべきとの意見が多数を占めた。
そこへ耳寄りのニュースが飛び込んできた。軍需省の倉庫に隼用旧型エンジンのハ115が400台余りほこりを被っているというのだ。これで、エンジンはハ115に決まり、戦闘機のような急機動をするわけではないので、荷重倍数も6に決定し、設計が始まった。
設計に関する重要なポイントは簡素化であった。早く設計を完了し、なおかつ実際の製作においてもできるだけ工数を減らす工夫をしなければならない。単座なので爆撃機と言えど防御用の後方旋回銃は持たない。しかも、構造の複雑な引き込み脚は採用せず、離陸後投下し、着陸は胴体着陸とする。そうすることにより、重量を軽減でき、余力を全てスピードに注ぐことができる。
キ115「剣」の平面図を見ると、零戦や隼と較べて翼面積が小さいことが分かる。機体寸法も二式単戦「鍾馗」より一回り小さく、操縦席も後方にあることから未熟者には操縦は難しかったと想像できる。しかも、爆撃照準器も備えていない機体では、敵艦艇爆撃を行うのは至難の業だったかも知れない。
事実、キ115「剣」を審査した陸軍の審査官は、爆撃機としては不適当と認むとの結論を提出したという。したがって、この「剣」は105機生産されたが、実戦には使用されていない。なお、製作された105機は甲型といい、主翼面積を2.1㎡増大し、木製化する乙型の計画もあったとされる。