海軍陸上偵察機(景雲)

彩雲は制約が多い艦上偵察機だったが、陸上基地から発着する景雲はより高速が求められた。しかし、手本とした独国ハインケル機でさえ実用に至らなかった双子エンジンは、日本の技術力では到底ものにすることができなかった。

海軍陸上偵察機(景雲)諸元

海軍陸上攻撃機(連山)

エンジン液冷倒立24気筒 愛知ハ70-01(離昇馬力 3,400HP 公称馬力3,000HP/8,000m)
最大速度741km/h(高度10,000m)
航続距離3,610km
全幅14.0m
全長13.05m
全高4.24m
主翼面積34.0㎡
自重6,025kg
全備重量8,100kg(正規)9,400kg(過荷)
上昇時間10,000mまで21分0秒
実用上昇限度11,700m
武装なし

海軍陸上偵察機(景雲) こぼれ話

景雲は17試陸上偵察機(試製暁雲)として空技廠に開発命令が下された後、中止となって改めて18試陸上偵察機として開発することとなった機体である。17試陸上偵察機としての要求性能は、双発3座、最大速度時速360ノット(666.72km/h)以上、航続距離7,600kmであったが、双発では要求を満たすことができないとして、当時三菱で開発中の液冷H型24気筒、2,500~3,000馬力を2基胴体内に配置し延長軸でプロペラを回す計画だったが、乗員の視界や延長軸の問題が解決せず、結局空冷2,400馬力エンジン2基の双発機に落ち着き試作が開始された。しかし、予定エンジンの開発が遅れているうちに戦局が変わり、小型の高速陸上偵察機の要望が高まったために17試の計画は中止し改めて18試として再開発されるようになった。

昭和16年にドイツから輸入したハインケルHe119爆撃機のエンジンを参考に、熱田30型を2基並列に連結し、4mにも及ぶ延長軸で6枚プロペラを回す方式を採用した。双子エンジンは大きな熱源が隣り合わせにあって冷却が十分にできない問題を本家のドイツでも抱えていた。試作1号機は昭和20年4月に完成したが、エンジンの冷却が十分でないため試験飛行は短時間で切り上げられた。二度目の試験飛行で高度600mまで上昇したときについにエンジンから火を噴いて10分間の飛行で終わり、終戦までついに飛ぶことはなかった。景雲は機種統合で整理対象になるべき機体だったが、将来のピストンエンジンからジェットエンジンに換装したときのための基礎データを得るためにピストンエンジンでの開発を続行する、という空技廠の何とも歯切れの悪い言い訳で開発中止とならなかった。役所は既得権益を守るためにはへりくつを並べ立て、身内の処分が甘いのは今も昔も変わらない。