海軍局地戦闘機(陣風)

対B29用の迎撃戦闘機として設計されて木型診査までこぎ着けた陣風だったが、機種整理統合に引っかかり計画中止となる。しかし、この頃川西では紫電改の試作機製作で猛烈に忙しかったので、計画中止は結果的によかったのだ。

海軍局地戦闘機(陣風)諸元

海軍局地戦闘機(陣風)

エンジン空冷18気筒 中島誉四二型(離昇馬力 2,200HP/3,000r.p.m 公称馬力 1,600HP/10,000m)
最大速度685km/h(高度10,000m)
航続距離5時間
全幅12.50m
全長10.118m
全高4.13m
主翼面積26.0㎡
自重3,500kg
全備重量4,373kg
上昇時間10,000mまで13分20秒
実用上昇限度13,600m
武装20mm機銃×4または30mm機銃×2(翼内)、13mm機銃×2(機首)

海軍局地戦闘機(陣風) こぼれ話

陣風の計画以前に17試陸上戦闘機J3Kが川西に発注されたが、海軍が搭載エンジンにハ43-11を要求し基本設計を進めた。ところが、ハ43はスーパーチャージャーを駆動するフルカン継手の故障が多く、高度8,000mで1,700馬力をだすことが困難になった。そこで、現用のエンジンでなんとか必要な出力を確保できないか試行錯誤したが、結局具体策がないまま設計がストップして昭和18年はじめに中止と決まった。ところが、昭和18年の夏、改めて川西に高々度迎撃戦闘機の試作命令が川西に下された。試作計画を管理していた海軍航空本部は昭和18年に戦闘機の機首統合再編をめざし、甲戦(制空)、乙戦(迎撃)、丙戦(夜戦)の3種に統合した。陣風は迎撃戦闘機なので「乙戦」であるが、なぜか試作名は18試甲戦闘機となっている。機種別記号も乙戦を表す「J6K」が与えられているので甲戦でないことは確かだが、航空本部内の混乱ぶりが窺える。

陣風への要求性能は、20mm機銃×4、13mm機銃×2、防弾・装甲フル装備、高度10,000mにおいて360ノット(666.72km/h)以上、上昇時間は10,000mまで13分以内、航続距離1,250海里(2,315km)以上という過酷なものであった。機体の設計はどうにかなっても、この要求を満たすエンジンが果たしてあるのかが最大の疑問である。海軍からはエンジン選定に関して、中島の誉を使うよう指示が出ていたが、紫電改に搭載する誉二一型では全然役不足で性能向上型に期待するしかなかった。つまり、できてもない絵に描いたエンジンを搭載することを前提に進められた設計だったのである。そういう状況でも設計は進み、昭和19年2月にはモックアップ審査が空技廠飛行実験部によって行われ、概ねよろしい、という評価を得た。第二次審査に向けて改修作業が続けられているとき、7月8日に中止命令が届いた。多くなりすぎた試作機の整理にひっかかり、三菱が開発中だった17試局地戦闘機閃電とともに中止が決定された。