百式司令部偵察機

大きな陸軍航空作戦の数日前には必ずと言っていいほど百式司令部偵察機が敵地上空を飛び、貴重な写真情報を持ち帰った。敵は「写真屋のジョー」と呼んで、日本軍侵攻の前触れとして嫌われていた。

百式司令部偵察機諸元

百式司令部偵察機

二型三型
エンジン空冷14気筒 三菱ハ102×2(離昇馬力1,080HP/2,700r.p.m 公称馬力950HP/5,800m)空冷14気筒 三菱ハ112-Ⅱ×2(離昇馬力1,500HP/2,600r.p.m 公称馬力1,250HP/6,000m)
最大速度604km/h(5,800m)630km/h(6,000m)
航続距離2,474km4,000km
全高3.88m3.88m
全幅14.70m14.70m
全長11.00m11.00m
主翼面積32.0㎡32.0㎡
自重3,263kg3,831kg
全備重量5,050kg5,724kg
上昇時間8,000mまで11分58秒8,000mまで20分15秒
実用上昇限度10,720m10,500m
武装八九式7.7mm旋回機関銃×1(後部上方旋回)なし
乗員2名2名

百式司令部偵察機 こぼれ話

百式司令部偵察機は日本陸軍傑作機の筆頭にあげられるべき機体である。戦略偵察機として徹底的に無駄を省き高速、長距離偵察機のお手本のような機体に仕上がっている。連合軍からは写真屋のジョーとよばれ、百式司令部偵察機が写真を撮った日の2~3日後には必ず航空攻撃があったことから要注意の機体とされていた。大戦後半になると連合軍にも高速戦闘機が出現し、未帰還となる機が増えてきたためさらなる高速機を目指してエンジンを排気タービン付きのハ112-Ⅱルに換装したⅣ型が計画され試作機が作られた。テスト飛行の結果は上々で、高度10,000mにおいて630km/hを記録した。

排気タービンを搭載したⅣ型で、審査部の片倉少佐と鈴木少尉が操縦して北京郊外の南苑飛行場から審査部のある福生まで排気タービンのテストを兼ねて飛行した。全行程2,250kmを片倉少佐の1番機は3時間35分、鈴木少尉の2番機は3時間15分の飛行時間だった。偏西風に乗っての飛行とはいえ平均時速約700kmの飛行は当時(昭和20年2月)としては快記録だった。