九七式司令部偵察機
九七式司令部偵察機は陸軍航空技術研究所藤田雄三中佐の明解な設計思想によって生まれた、大日本帝国陸軍初の戦略偵察機だ。もちろん世界初でもある。
九七式司令部偵察機二型諸元
エンジン | 空冷14気筒 三菱ハ26-Ⅰ(離昇馬力850HP/2,650r.p.m 公称馬力900HP/3,500m) |
---|---|
最大速度 | 510km/h(4,330m) |
航続距離 | 2,400km |
全高 | 3.34m |
全幅 | 12.00m |
全長 | 8.70m |
主翼面積 | 20.36㎡ |
自重 | 1,592kg |
全備重量 | 2,189kg |
上昇時間 | 5,000mまで6分49秒 |
実用上昇限度 | 11,900m |
武装 | 7.7mm旋回機関銃×1 |
乗員 | 2名 |
九七式司令部偵察機 こぼれ話
戦略偵察機の開発を主張した陸軍航空技術研究所藤田雄三中佐が中心となって作り上げた世界初の戦略偵察機が九七式司令部偵察機である。速度を重視した偵察単能機で、そのコンセプトが功を奏し成功作となった。試作2号機を朝日新聞が借り受け、「神風号」と命名してイギリスのジョージ6世戴冠式への親善飛行として亜欧連絡飛行を計画、実飛行時間51時間19分23秒という記録を作り、世界をあっと言わせた。
敵地深く単機で潜入しなければならない戦略偵察機には、一に速度、二に航続距離、三に上昇限度が求められる。偵察機にとって一番怖い相手は敵戦闘機との遭遇である。それまでの軍部であれば、対戦闘機戦闘性能や偵察ついでに爆撃もと欲張ったに違いないが、藤田中佐はあくまで速度優先を主張し最後まで貫き通した。敵戦闘機に見つかれば、逃げるが勝ちの戦法しかないのである。