九七式戦闘機

水平面旋回で相手の後に回り込み撃墜する、いわゆる格闘戦を極めた機体が九七式戦闘機であろう。小山技師が手がけた一連の戦闘機系列の最初が、この九七戦であった。

九七式戦闘機諸元

九七式戦闘機

エンジン空冷9気筒中島ハ1乙(地上正規610HP/2,400r.p.m 地上最大710HP/2,600r.p.m)
最大速度470km/h(3,500m)
航続距離627km
全高3.25m
全幅11.31m
全長7.53m
主翼面積18.56㎡
自重1,110kg
全備重量1,790kg
上昇時間5,000mまで5分22秒
実用上昇限度12,250m
武装胴体内7.7mm機関銃(八九式固定機関銃)×2(携行弾数各500発)
爆弾25kg×4
落下タンク左右各133リットル

九七式戦闘機 こぼれ話

昭和12年12月に制式となり、初陣は昭和13年4月10日対中国空軍戦である。九七戦最初の装備部隊は寺西多美弥中佐率いる部隊で、3機配備されたその内の1機に加藤隼戦闘隊で有名な加藤建夫大尉(当時)が搭乗している。九七戦の名前を高めたのはなんといってもノモンハン事件で、ソ連空軍の繰り出すイ15やイ16をまったく寄せ付けず、スコアも10対1と圧倒的な強さを見せつけた。ただ、最後のほうはソ連空軍が戦訓を取り入れた機体(操縦席の防弾鋼板など)を使用し、一撃離脱戦法で攻撃してきたため初期の頃のようには撃墜できなかったようである。

九七戦は軽戦の極致といわれ、翼面荷重や馬力荷重などはもうこれ以上さわりようがないとまで評された機体に仕上がったので、パイロット達からは絶大なる信頼を得ていた。つまりは、空戦に於いて格闘性能が悪い機体は戦闘機にあらずといった風潮が高まり、後の戦闘機開発に大きな影響を及ぼしてしまう。

九七戦は実用的には優れた戦闘機で、エンジンの信頼性と共に固定脚に大きな車輪を装備して不整地での離着陸も容易にできることなど、兵器としての評価は高かった。