五式戦闘機

空冷エンジンから液冷エンジンへの換装はフォッケウルフFw190DやレッジアーネRe2000などで行われているが、五式戦闘機のように液冷エンジンから空冷エンジンへの換装は世界的に見て珍しい。

五式戦闘機諸元

五式戦闘機

エンジン空冷14気筒 三菱ハ112-Ⅱ (離昇馬力1,500HP/2,600r.p.m 公称馬力1,250HP/6,000m)
最大速度580km/h(6,000m)
航続距離2,000km
全高3.75m
全幅12.00m
全長8.82m
主翼面積20㎡
自重2,525kg
全備重量3,495kg
上昇時間5,000mまで6分
実用上昇限度11,500m
武装翼内12.7mm機関砲(ホ103)×2(携行弾数各350発)、機首20mm機関砲(ホ3)×2(携行弾数各150発)
爆弾250kg×2

五式戦闘機 こぼれ話

三式戦(飛燕)の液冷エンジンハ140を空冷エンジンハ112-Ⅱに換装して生まれたのが五式戦闘機である。三式戦(飛燕)から五式戦への生まれ変わりには幸運だけではかたずけられない偶然が重なった。一番大きな問題は、液冷エンジンに合わせて作られたスマートな胴体に直径の大きな星形エンジンをどうやって装備するかだ。単に首をすげ替えただけでは左右にそれぞれ20cm以上の段差ができてしまいそのままだと乱流を引き起こして有害抵抗が増大するのは必然である。そこで陸軍が昭和18年にドイツから購入していたフォッケウルフFw190Aが役に立った。Fw190Aも空冷エンジンを装備しながら胴体を細く絞った設計をしていたので、排気管を段差に集めてジェット排気によって空気の流れをスムーズにすることができた。そしてさらに大きな問題として空冷エンジンの取り付け方法をどうするかが浮かび上がった。エンジンを胴体に装備するときはエンジンの取り付け金具の位置に合わせて胴体を設計するが、ハ112-Ⅱの取り付け金具の位置が偶然にも胴体から伸びていた縦通材とぴったり合ったのである。この2大難問をクリアできたことで胴体の大幅な変更を行わなくてすみ、空冷エンジン換装化に大きく前進した。そして、さらに幸運なことに、三式戦(飛燕)の主翼と重心位置の合わせかたが楽にできるレール式になっていたことである。液冷エンジンは縦に長いのに対し直径が大きく縦に短い空冷エンジンとは当然エンジンの重心位置は大幅に変わり、機体全体の重心位置も変わってくる。四式戦(疾風)のような作り方だと前部胴体と主翼が一体構造なので五式戦のようにはいかない。

昭和19年10月1日に軍需省から設計命令が出て12月末には設計が完了し、翌20年2月1日には試作1号機のテスト飛行が行われる超スピードぶりだった。テスト飛行を続けると、当初の見込みを上回る性能であることが判明した。さすがに正面面積が増大したので最大速度は6,000mで580kmとキ61二型改に比べて30km/hほど低下したが、高空性能の良いハ112-Ⅱであったため上昇性能がよく、10,000mまでの上昇時間はキ61二型改を上回った。これは、冷却器が無くなったこととエンジン自体の重量も軽くなったことでキ61二型改より約330kgの重量軽減となったことが最大の原因である。しかもエンジンの重心が機体重心に近づいたことで慣性モーメントが小さくなり三式戦(飛燕)より空戦性能も良くなった。燃料とオイルを入れてさえやればいつでも回る整備製の良いエンジンを得たことで兵器としての信頼度が格段に向上した。