九九式艦上爆撃機
大日本帝国海軍では、航空母艦を離発着し急降下爆撃ができる機体を艦上爆撃機と呼んでいる。九九式艦上爆撃機は大東亜戦争緒戦の快進撃を支えた名機である。
九九式艦上爆撃機二二型諸元
エンジン | 空冷14気筒 三菱金星五四型(離昇馬力1,300HP/2,600r.p.m 公称馬力1,100HP/6,200m) |
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最大速度 | 427.8km/h(高度5,650m) |
航続距離 | 1,050km |
全幅 | 14.36m |
全長 | 10.231m |
全高 | 3.348m |
主翼面積 | 34.97㎡ |
自重 | 2,750kg |
全備重量 | 3,800kg |
実用上昇限度 | 10,500m |
武装 | 機首固定7.7mm機銃×2、後方旋回7.7mm機銃×1 |
爆弾 | 250kg爆弾×1、60kg爆弾×2 |
乗員 | 2名 |
九九式艦上爆撃機 こぼれ話
九九式艦上爆撃機は零式艦上戦闘機や九七式艦上攻撃機とともに大戦初期のあらゆる戦線で活躍した日本軍進撃の立役者の1機である。ドイツのハインケルHe70を参考にした急降下爆撃機を愛知は設計し、中島との競争試作に勝って制式となる。固定脚ではあるが、全金属製低翼単葉機でダイブブレーキを装備し、主翼の平面形は楕円翼とした。
初期の活躍も大戦中期以降になると被害が大きくなり、彗星の生産が待たれたが、熱田エンジンの不調が続きなかなか部隊への配備が進まなかった。護衛戦闘機である零戦の神通力が薄れてくると九九艦爆の被害は反比例的に増え、ついには「九九棺桶(かんおけ)」などと自嘲気味にささやかれるようになった。結局終戦まで使い続けられ、最後は特攻機としても使用された。大戦後期にはジュラルミン生産状況逼迫のため、九九艦爆を木製化することが決定され、ラジオの外側などで合板加工に手慣れていた松下電器に生産を依頼した。松下電器は松下飛行機という会社をすぐさま立ち上げ、生産に取りかかったがラジオと飛行機の生産はあまりにも異なり、適当な接着剤が無いことも手伝って最終的には7機が完成したに過ぎなかった。出来上がった飛行機は「明星」と命名されたが、原型の九九艦爆一一型より700kgも重くなり、速度はあまり変わらなかったが上昇性能が極端に落ちてしまった。