零式小型水上偵察機

第一次大戦以後、世界各国は潜水艦の有用性に気付き、さらに潜水艦の威力を増そうと索敵能力の増大に心血注ぐことになる。その一手段として水上機を搭載し、敵艦察知の向上と敵航空機の早期発見を試みようとした。しかし、小さな潜水艦に搭載できる小型水上機の開発は困難を極めたので、日本を除いて実用化した海軍はない。(一時期独海軍がジャイロコプターを搭載したことがあった。)

零式小型水上偵察機諸元

零式小型水上偵察機

エンジン空冷9気筒 日立天風一二型(離昇馬力340HP)
最大速度246km/h(海面上)
航続距離882km
全幅10.97m
全長8.54m
全高3.69m
主翼面積19.0㎡
全備重量1,450kg
実用上昇限度5,420m
武装7.7m機銃×1
爆弾60kg×2
乗員2名

零式小型水上偵察機 こぼれ話

零式小型水上偵察機は潜水艦に搭載する九六式小型水上偵察機の後継機で、歴史上唯一アメリカ本土を爆撃した軍用機として知られている。潜水艦に水上機を搭載して偵察活動を日本海軍が唯一行った。レーダーが潜水艦に搭載されて実用化されるまでは浮上した潜水艦の通信マストなどに偵察員がよじ登って光学機器で敵船を探索したり、ドイツではジャイロコプターを搭載し、高度120mほどにまで上昇すれば周囲40kmほどが探索できた。各国海軍も潜水艦搭載水上機を開発しようとしたが、格納容器に入る大きさの制限が厳しく、安定した水上機がなかなか設計できなかった。設計の難しさとは別に、潜水艦に大きな格納容器を取り付けることによる水中性能の低下と水上機の発艦時と収容時には海上へ浮上しなければならないことによる隠密性の希薄が問題となり、防御面を重んじた米英は潜水艦搭載水上偵察機の開発を断念している。

1942年(昭和17年)9月に伊25搭載の零式小型水上偵察機が、2回にわたってオレゴン州の森林に焼夷弾を投下し火災を発生させた。このアメリカ本土への軍用機による直接攻撃は零式小型水上偵察機の爆撃が現在に至るまで唯一である。軍用機ではないが兵器として「風船爆弾」もアメリカ本土を直接攻撃している。