二式単座戦闘機(鍾馗)

昭和17年(皇紀2602年)に制式機となった戦闘機は鍾馗と屠龍があるため、鍾馗は二式単座戦闘機、屠龍は二式複座戦闘機と命名され区別された。

二式単座戦闘機(鍾馗)二型丙諸元

二式単座戦闘機(鍾馗)

エンジン空冷14気筒 中島ハ109(離昇馬力1,500HP/2,650r.p.m 公称馬力1,220HP/5,200m)
最大速度605km/h(5,200m)
航続距離1,600km
全高3.248m
全幅9.448m
全長8.85m
主翼面積15.0㎡
自重2,109kg
全備重量2,764kg
上昇時間5,000mまで4分26秒
実用上昇限度11,200m
武装胴体内12.7mm機関銃(ホ103)×2(携行弾数各250発)翼内12.7mm機関砲×2(携行弾数各250発)
爆弾30kg~100kg×2、または250kg×1

二式単座戦闘機(鍾馗) こぼれ話

一式戦(隼)は格闘戦の極致である九七戦の影を追い求めたのに対し、二式単戦(鍾馗)は最大速度毎時600km(4,000m)以上、上昇時間5,000mまで5分以内、行動半径600km、武装は胴体7.7mm機関銃×2、翼内12.7mm機関砲×2という重戦闘機の性格が色濃く出た要求性能だった。速度、上昇力、重武装を念頭に置いた迎撃機に使用できるエンジンが当時なく、出力の大きいエンジンで実用化されていたのが爆撃機用に開発されたハ41だったのは、海軍の迎撃機である雷電とその搭載エンジンである火星(これも爆撃機用エンジン)との関係に似ている。

一式戦(隼)でさえ九七戦と比べられてボロクソにいわれ、危うく不採用になるところだったことを考えると、二式単戦(鍾馗)の未来も決して明るくはなかった。設計側も旋回性能を何とか良くしようとフラップを空戦時に使うことを考え、蝶型をした空戦フラップを二式単戦(鍾馗)に最初から搭載した。ところが、この異端児を優等生として証明してくれるチャンスが到来する。それは昭和16年5月にドイツから買い付けたメッサーシュミットBf109との模擬空戦である。当時ドイツは戦争に突入していてBf109の大活躍は日本陸軍の耳に届き、軽戦一辺倒だった軍部に重戦の開発を決断させた。模擬空戦には二式単戦(鍾馗)以外に九七戦一型・二型・三型、キ45(二式複座戦闘機屠龍)、キ60(川崎が設計したBf109と同じエンジンであるダイムラーベンツDB601Aを搭載した重戦)が参加した。二式単戦(鍾馗)とBf109との勝負は、Bf109に搭乗したドイツ人パイロットのロージヒカイトが模擬空戦の事前取り決め通りに飛行しなかったためはっきりとは決着が付かなかった。しかし、パイロットを日本人に代えての模擬空戦に於いては二式単戦(鍾馗)はBf109を圧倒し、格闘性能が悪いと烙印を押されていた二式単戦(鍾馗)も見直された。この後、二式単戦(鍾馗)とキ60、Bf109が並んで水平飛行して最高速度を出したときは、二式単戦(鍾馗)は他の2機より速くトップスピードに達したという。これら一連のテスト結果により、あれだけ悪い悪いと言われた二式単戦(鍾馗)だが、一転して速度向上型のための増加試作が命令された。

迎撃機としての優秀さが示された二式単戦(鍾馗)だが、さらに速度を上げるための方策として当時ベンチテストに合格したハ45(海軍名:誉)を搭載する三型が計画された。この2,000馬力級エンジンを積めばハ109では毎時600km程度しか出せないスピードを毎時650~680kmまで引き上げられるという試算が出た。そこで、三型の計画を破棄し、改めてキ84(疾風)として中島飛行機に指名発注されることとなった。

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