一式戦闘機(隼)

大日本帝国陸軍が主力戦闘機の重戦化に取り組んだ過程において、過渡的に生まれた戦闘機が一式戦闘機(隼)であろう。軽戦闘機の極致と言われた九七戦とは正反対の方向を目指すはずが、九七戦の陰を追いかけて採用が大幅に遅れてしまったかわいそうな機体である。

一式戦闘機(隼)二型諸元

一式戦闘機(隼)

エンジン空冷14気筒 中島ハ115 (離昇馬力1,150HP/2,750r.p.m 公称馬力980HP/6,000m)
最大速度530km/h(6,000m)
航続距離1,620km(最大3,000km)
全高3.09m
全幅10.837m
全長8.92m
主翼面積22.0㎡
自重1,975kg
全備重量2,590kg
上昇時間5,000mまで4分48秒
実用上昇限度11,200m
武装胴体内12.7mm機関銃(ホ103)×2(携行弾数各270発)
爆弾30kg~250kg×2
落下タンク左右各200リットル

一式戦闘機(隼) こぼれ話

九七戦の後継機として発注された一式戦(隼)であるが、その要求は1.最高速度毎時500km以上、2.上昇力は5,000mまで5分以内、3.戦闘行動半径400~600km、4.運動性能は九七戦と同程度、という内容だった。最高速度をアップさせるにはエンジンの出力を上げなくてはならないので、必然とエンジン重量は増す。また、戦闘行動半径は九七戦の約2倍なので燃料を多く搭載しなければならず、これも重量増加の一因となる。重量が増加した機体を旋回性能の良いものにしようとすれば必然的に翼面積を増加させなければならない(翼面荷重を小さくする)。そうすると主翼の構造重量と抵抗が増え、最高速度が低下する。こういった航空機設計を無視した要求は中途半端な機体しかできなく、設計者も用兵側も不満足な結果になりやすい。一式戦(隼)はまさにその危険性をはらんで制作が進められた。

出来上がった一式戦(隼)は、予想通り最高速度は九七戦よりわずかに速く、格闘性能は完全に九七戦に劣る機体となってしまった。優っていたのは航続性能だけという審査結果に制式の見込みなしとして審査を行う学校(戦闘機は明野)の片隅で放置されていた一式戦(隼)を生き返らせたのは、新設された飛行実験部の部長今川中佐であった。部員に命じて、一式戦(隼)で九七戦に勝つ戦闘方法を、また一方では航続距離の限界を探らせた。その結果、戦闘方法については、水平面での旋回戦闘が得意な九七戦に対して、馬力の大きな点を利用して垂直面での旋回、上昇降下運動で対抗しうることを用兵側に見せつけ、10時間以上飛行できる航続性能を示した。試作機ができてから1年以上かかってやっとここに一式戦(隼)の誕生となったわけである。

陸軍はノモンハン事件の教訓から、一式戦(隼)には当初から燃料タンクに防弾処理を施し、二型からは操縦席背面に防弾鋼板を設置するなどしている。その重量が増加する要素がありながら一型から二型、二型から三型へ改造するにつれて最高速度が増していることなど考えると、同時期に型式が進むにつれて性能を落としていった零式艦上戦闘機と比べて先見の明があったと言える。しかし、武装に関しては最後まで翼内装備がかなわず、12.7mm機関砲2門(機首装備)のみの戦闘は火力不足といわざるを得ない。この原因は主翼の桁構造にあり、複雑な3本桁にしたため機関砲を翼内装備できるスペースが取れなかったためである。

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