川崎飛燕とメッサーシュミットBf109

日本陸軍は97式戦闘機の後継機にいわゆる「重戦思想」を盛り込んだ機体を指名した。欧州ではスピットファイア、メッサ-シュミットが重武装の戦闘機を開発しており、世界の趨勢は重戦にありと判断した陸軍はメッサ-シュミットBf109E型の輸入とダイムラー・ベンツ製エンジンDB601のライセンス契約を結び本格的な重戦採用に向けて設計、生産を川崎に発注した。

飛燕はBf109E型と同じDB601エンジン(実際は若干日本風のアレンジがなされているので全く同一ではない。)を搭載しているため、欧米からはBf109のコピーと思われていたが、単に同じ系列のエンジンというだけで、機体設計は全くのオリジナルである。

設計思想

メッサ-シュミットの設計哲学は単純明快だ。「できるだけ小さい機体にできるだけ高出力のエンジンを搭載する。」Bf109はその典型的な例で、日本人パイロットが搭乗しても窮屈と感じられるくらい狭く小さなコックピットで、ドイツ人パイロットはその体躯を押し込み、偏向しがちな機体をまっすぐ飛ばすために絶えずフットバーを踏み続けていたという。

小さな機体(全幅9.9m、全長8.8m、全高2.5m)に仕上げれば重量(E7型で全備重量2,767kg)も抑えられ、それほど大きなエンジンでなくとも所要の性能を発揮できる機体を得ることができる。ヨーロッパは領土が狭く、多量の燃料を必要としなかったことも小さく作る上で大きな要因となった。

飛燕を設計した土井武夫氏は、陸軍が想像していた重戦、軽戦という漠然とした思想には関心がなかった。戦場では生きるか死ぬかの戦いが行われているのだから、総合的に相手の戦闘機を上回る機体を作るべきで、結果的にはそれが重戦あるいは軽戦と判断されてもかまわない、という考えだった。当然、陸軍から示される要求性能はあるが、ある性能ではそれを超えるものを作ってやろうという意気込みがあったと伝えられている。

日本は欧州と違って、中国大陸や周りが海の南方が主戦場だったので、航続力は設計する上で大きな要素となる。その結果、飛燕一型においては増槽装備で約2,800kmの航続距離を有した。これはBf109E型の航続距離約700kmの4倍である。これは単に燃料を多く積めるようにタンク容量を大きくしただけではなく、アスペクト比7.2という高アスペクト比が大きく寄与している。アスペクト比が大きくなると主翼表面を流れる空気の距離が短くなるので抵抗が減り、航続距離が増し、さらには高空性能も良くなる。しかし、翼幅が大きくなると横方向のモーメントが大きくなり運動性が悪くなるので、補助翼に工夫をして運動性能の低下を防いだという。

バトル・オブ・ブリテンに飛燕を投入していたら

BF109は侵攻・制空戦闘機としては航続距離が短いという致命的欠陥があったが、もしバトル・オブ・ブリテンに飛燕を投入できていたらどうかわっていただろう。このもしもによく登場するのは零式艦上戦闘機(零戦)だが、同じエンジンを積んだBf109E型と飛燕一型のほうがより比較できると思う。

Bf109は爆撃機を護衛(時にはBf110も)してイギリス上空で約10分の戦闘をすればもう帰投しなければならなかった。ヨーロッパ大陸とイギリス本土を隔てるドーバー海峡は最も短い所で約35kmしかない。さらに、フランス沿岸部からロンドンまで150km程度しかない。それでもBf109の航続性能はかつかつだったわけだ。

もう一つ、Bf109が力を発揮できなかった理由として、Bf109の性能を阻害する「爆撃機護衛」という任務があった。護衛任務はこちらから手出しができない、受け身の任務である。当然スピットファイアは上空から襲ってくる。その一撃をかわして敵機を追い払おうとすれば格闘戦にならざるを得ない。Bf109の一番苦手なドッグファイトはより一層Bf109の発揮しうる性能を邪魔しただろう。

そこで、飛燕の出番である。航続距離に関しては全然問題なく、先遣隊として飛燕だけの戦闘機部隊を差し向けてスピットファイアと一戦交え、より爆撃機の損害を少なくして爆撃効率を上げる作戦も考えられる。爆撃機に随伴した場合でもスピットファイアとの格闘戦は難なくこなせたであろう。

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