三菱零戦とグラマンヘルキャット

開戦当初の零戦には、連合軍機のいかなる機種をも寄せ付けない強さがあった。米陸海軍及び海兵隊航空隊は零戦には1機で対応してはならぬとの通達を出しことからも、陸上機を含めた戦闘機の頂点に一時的とはいえ立ったことは誰しもが認めることだろう。ヘルキャットは前制式機のワイルドキャットが零戦に刃が立たないため、極短期間で作成された機体である。アリューシャン列島で捕獲された零戦を分析して、その戦訓を取り入れて設計されたと誤って記述されることが多いが、設計は捕獲前から進行しており、零戦の欠点を突く戦闘方法を伝授された機体という表現が正しいだろう。

設計思想

零戦の最大の弱点である構造の弱さはどこからきたのだろう。これは偏に高出力のエンジンがなかったことに尽きる。

前制式機の96艦戦を大きく上回る性能を要求された堀越技師は、適当な大出力のエンジンが手に入らないことを嘆き、ロールス・ロイス・マーリンエンジンを持つイギリスを嫉んだと述懐している。長大な航続力、500km/hを超える最大速度、20mm機関銃の搭載など重量増加の要因が存在するが、高出力のエンジンがない上に、96艦戦の運動性と同等な要求を突きつけられると、残された道は徹底した重量軽減しか残されていなかったのが事実だ。

かたや、グラマンは当時開発なった2000馬力級のP&W製エンジンが手に入り、スピードと強力な武装で零戦を蹴散らす思想の元に設計された。零戦と同じ開発方向では時間が掛かり過ぎることもあって、総合的に零戦より戦闘ポテンシャルの高い機体を作り、零戦の弱点を突いた戦闘方法に合致できる機体を作る方針は間違っていなかった。

零戦とヘルキャットを比較する愚かさ

1935年から1945年の10年間は、航空機にとってまさにドッグイヤーだったと言える。1年経てば既に旧式機の仲間入りといった事例はいくつもある。設計から制式機に到るまでは平時であれば2年から3年かかった。当然その時間を見越して要求する性能は厳しくなる。しかし、現実はその予想よりも速かった。制式機となっても2年くらいしか優位が保てないのだ。これに対応するには、新型機を次々と生み出す以外にない。しかし、これには大勢の優秀なるスタッフと強大な工業力とを必要とする。

野球に例えるなら、40歳に手が届きそうなかつての甲子園優勝投手と十分2軍で鍛えられた若手のピッチャーとを較べるようなものだ。ベテランはどうすれば良いピッチングができるか分かっているが、肘や肩がもう言うことを効かない。かたや若手投手は自分の得意な球種を頼ってブンブン投げてくる。誰がどう見てもベテラン投手には勝ち目がない。

後から出てくる兵器は現在あるものより優秀なのは当たり前なのだ。生まれた瞬間から完璧だった零戦は、逆に伸び代の少ない戦闘機だった。軍上層部はそれを加味した上で次期戦闘機の要求性能を決めるべきだったが、決断が遅れたため零戦の後継機を誕生させることができなかった。グラマンはワイルドキャットでは零戦に刃が立たないと見るや、当時開発なった2000馬力級エンジンを積む戦闘機を計画し、超特急作業でヘルキャットを完成させた。人的、物的資源の豊富さを見せつけた離れ業である。零戦を倒すために作られたのだから、総合的に見て零戦より強かったことは歴史が証明しているとおり当然の結果なのだ。

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